2018/04/11

『アンドレ・バザン研究』第2号の入手方法

 『アンドレ・バザン研究』第2号は非売品で、国会図書館および一部の大学図書館を除いて、一般に流通しません。

 入手を希望される方には、実費(送料分)で送付いたします。任意の封書に①『アンドレ・バザン研究』第2号を希望する旨のメモ、②送付希望先の住所・氏名を記載したスマートレター(180円)の2点を封入のうえ、以下の宛先に郵送してください(往信の切手代はご負担ください)。折り返し、封入いただいたスマートレターにて第2号をご送付いたします。

【送付先】
〒990-8560
山形県山形市小白川町1-4-12
山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内 アンドレ・バザン研究会

※スマートレターは全国の郵便局等でお買い求めください。スマートレター以外の方法による送付はいたしかねますので、必ずスマートレターをご用意ください。
※発送作業は研究所の所員が行うため、出張などにより発送まで10日間程度の期間をいただくこともあります。また、授業期間外の場合、発送まで大幅に時間がかかることもあります。どうかご了承ください。
※このエントリーに記載のとおり、『アンドレ・バザン研究』第1号の頒布は終了しておりますので、ご留意ください。
※残部僅少となった場合、このブログでも告知し、受付を中止します。
以上

2018/04/03

『アンドレ・バザン研究』第2号の刊行

 2016年6月に山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内に発足したアンドレ・バザン研究会では、その2017年度の成果として、『アンドレ・バザン研究』第2号を刊行しました(発行=アンドレ・バザン研究会、編集=堀潤之、伊津野知多、角井誠、2018年3月31日発行、A5判180頁、ISSN 2432-9002)。なお、本誌は一般には流通しません。入手方法については、後日、本ブログにてお知らせします(【4/15追記】入手方法についてはこちらのエントリーをご覧ください)。


 特集「存在論的リアリズム」では、バザンの最もよく知られた文章の一つ「写真映像の存在論」に特に光を当てています。「写真映像の存在論[草稿]」をはじめとする未邦訳のテクスト5篇を紹介するとともに、研究会会員の論考2篇(堀潤之、伊津野知多)を掲載、さらに会員外から中村秀之氏に研究ノートを寄稿いただいたほか、ダドリー・アンドリュー氏、トム・ガニング氏による論考を訳出しています。

 前号の特集「作家主義再考」を引き継ぐ小特集「作家主義再考2」では、フランソワ・トリュフォーのアベル・ガンス論2篇(うち一篇では、トリュフォーが本文中でおそらく初めて「作家主義」という言葉を使っている)に加え、バザンの晩年のテクスト「批評に関する考察」(これも本邦初訳)を掲載しています。

 目次は以下の通りです。

[特集]存在論的リアリズム
アンドレ・バザン「現実主義的な美学のために」(堀潤之゠訳)
アンドレ・バザン「リアリズムについて」(堀潤之゠訳)
アンドレ・バザン「写真映像の存在論[草稿]」(堀潤之゠訳・注釈)
堀潤之「パランプセストとしての「写真映像の存在論」――マルロー、サルトル、バザン以前のバザン」
ダドリー・アンドリュー「フェティッシュの存在論」(須藤健太郎゠訳)
中村秀之「アンドレ・バザンの« présence »について[研究ノート]」
トム・ガニング「自身の似姿の中の世界――完全映画の神話」(三浦哲哉゠訳)
アンドレ・バザン「モンタージュの終焉」(伊津野知多゠訳)
アンドレ・バザン「シネマスコープ裁判――シネマスコープはクロースアップを殺していない」(伊津野知多゠訳)
伊津野知多「アンドレ・バザンのリアリズム概念の多層性」

[小特集]作家主義再考2
フランソワ・トリュフォー「アベル・ガンス卿」(大久保清朗゠訳)
フランソワ・トリュフォー「アベル・ガンス、無秩序と天才」(大久保清朗゠訳)
アンドレ・バザン「批評に関する考察」(野崎歓゠訳)

 巻頭言は、収録したそれぞれの文章のごく簡潔な内容紹介になっているので、以下、その全文を掲げておきます。

「草稿」に誘われて――第二号イントロダクション
堀潤之

 『映画とは何か』の冒頭に収められている論考「写真映像の存在論」が、バザンのあらゆる文章のうち、最も人口に膾炙したものであることはまず疑いあるまい。とりわけ、写真映像が人の手を介さずに自動的に生成されることによって本質的な客観性を持つという中心的なテーゼは、それがパースのいうインデックス的記号と結びつけて論じられてきたことも含め、芸術批評に関心を持つ多くの読者にとって馴染み深いはずだ。だが、一九四五年に世に出たこの短いテクストは、本当に読まれていると言えるだろうか。「写真映像の存在論」がアリバイ的にタイトルだけ言及され、その片言隻語が我田引水に用いられるさまを私たちは幾度となく目にしてきたのではなかったか。

 今から三年近く前、そんなことを漠然と考えながら、バザンが一九五〇年に上梓した最初の著書『オーソン・ウェルズ』(インスクリプト刊、二〇一五年)の訳出を終えようとしていた折、フランスの映画批評誌『トラフィック』九五号(二〇一五年秋)に掲載された「写真映像の存在論[草稿]」(本号に訳出)を手に取った。一読してたちまち、私たちの知らないバザンが、自身の代名詞となるような決定的なテクストを書こうと奮闘している過程に魅了され、映像をめぐる新たな思想が生まれつつある場に立ち会っているような鈍い興奮さえ覚えた。本号の特集「存在論的リアリズム」の淵源にあるのは、「草稿」との出会いによってもたらされた、こうした感慨である。

 「草稿」が「写真映像の存在論」の似て非なる分身、それゆえに不気味な似姿であるとすれば、特集の冒頭に配置した二篇の小論は、「バザン以前のバザン」が何を研究課題として捉え(「現実主義的な美学のために」)、「写真映像の存在論」の着想をどのように作品分析と結びつけようとしていたか(「リアリズムについて」)を明瞭に示してくれるだろう。「草稿」に続く拙論は、バザンに流れ込んでいる知的系譜を改めて整理したうえで、「草稿」を綿密に読み解いたおそらく世界初の試みである。

 私が出会った「草稿」は誌面に書き起こされた字面にすぎず、そこにはオリジナルの複写であればまだ持ち得たかもしれないアウラの欠片もない。だが、バザン研究の第一人者であるダドリー・アンドリュー氏が形見として一九七四年に譲り受けたサルトルの『想像力の問題』の中からたまたま発見したという、バザン自身によると思われるタイプ打ちの読書メモ(本誌五九頁に複製)には、かすかなアウラが漂っているかもしれない。アンドリュー氏は、自身にとって「フェティッシュ」と化したこのたった一枚の紙片を、バザンがサルトルの呪縛の中で写真、映画、テレビの比較考察を試みたものとして鮮やかに読み解いていく。この読解への返歌とも言える中村秀之氏の研究ノートは、サルトルの想像力論とデリダの現前性批判を視野に入れつつ、「写真映像の存在論」のよく知られた一節を厳密に注解しながら、最終的には、映像が「人類の歴史的投企の所産」であることを等閑視するバザン自身の立論の弱点を指摘している。

 「完全映画の神話」は、「写真映像の存在論」と並んで非常に有名でありながら、論じられる機会は圧倒的に少ない。この論考は、ジョルジュ・サドゥールが映画以前の諸装置を実証的かつ目的論的に紹介した『世界映画全史』第一巻(一九四六年)の書評として書かれながら、著者の意図を裏切ってそこに「自身の似姿の中の世界」の再創造という神話の作用を見出すという軽妙洒脱な論考である。それを、初期映画研究の泰斗であるトム・ガニング氏がその後の研究のアプローチとの差異を剔出しつつアクロバティックに読み解いていくさまは、本号のいちばんの読みどころと言ってもいいかもしれない。

 現実世界をそっくりそのまま再現するという神話には、未来の映像テクノロジーの発展が潜在的に含み込まれている。バザンの時代、その部分的な実現は特にシネマスコープによってもたらされた。一九五〇年代のバザンが当時のニューメディアについて精力的に書いていた記事の中から選んだ二篇の小論を読むことで、彼がどのような観点でシネマスコープにリアリズムの拡張を見て取っていたかがはっきりするはずだ。

 特集のタイトルに冠した「存在論的リアリズム」という言葉は、実はバザン自身はほとんど用いておらず(管見の限りでは『オーソン・ウェルズ』に一箇所、用例がある)、本来であれば、「存在論」と「リアリズム」というそれぞれの用語の使い方を十分に吟味する必要があるだろう。その第一歩とも言いうる伊津野知多氏の論考は、「存在論的リアリズム」を含む複数のリアリズム概念がバザンの中でどのように折り重なっているかを明晰に再構成している。

 小特集「作家主義再考2」は、前号の特集を継続して、異形の映画作家と言うべきアベル・ガンスに焦点を当てた。もはや時代遅れであると囁かれていたサイレント期からの偉大な先達を熱烈に擁護する若きトリュフォーの舌鋒には、今なお迫力がある。ガンスを取り上げたのは、「アベル・ガンス卿」に「作家主義」の語がおそらく初めて登場するからでもある。さらに、本号を締め括る文章として、バザンの実質的な白鳥の歌と言ってよい「批評に関する考察」を置いた。「作家主義」的な批評の創始者とも思われがちなバザンが、批評をより広大な営為として捉え、むしろ「作家主義」に最後まで留保を付けていた点には、もっと注意が払われるべきである。

 二〇一八年末には、生誕百周年を迎えたバザンをめぐるシンポジウムを開催し、アンドリュー氏を招聘することが決まっている。次号はその記録を中心に編まれることになるだろう。

 続いて、角井誠氏による編集後記の全文です。

 「批評家の役割とは存在しない真実を銀の盆にのせて運ぶことではなく、芸術作品の与える衝撃を、読者の知性と感性のできるかぎり遠くにまで届かせることなのである」(本誌一七一頁)――「批評に関する考察」を締め括るこの一節に初めて触れたのは、学部生の頃、背伸びをして読んでいたダドリー・アンドリューによる評伝のなかでのことだったろうか。今よりもずっと頼りないフランス語能力しか持ちあわせていなかったけれど、この一節に出会ったときの震えるような衝撃は今なお私のなかに谺している。私が今こうしてジャン・ルノワールを研究しているのも、バザンのあの美しい「フランスのルノワール」というテクストが私にもたらしたショックの産物以外の何物でもないのだ。もちろん、自分自身がそれを実践できているとは言わないし、今となっては批評に関するバザンの主張すべてに首肯するわけでもないが、先の言葉は今なお私の原点であり、私を導く大切な言葉であり続けている。その一節がこうして野崎歓氏によって日本語に訳されたことを心の底からうれしく思う。バザンのテクストが贈り届ける衝撃――作品の衝撃と彼の思考の衝撃――を読者のなかへできるかぎり遠くまで届かせること、それが本研究会の使命ではないだろうか。

 本号の特集「存在論的リアリズム」については、編者の代表ともいうべき堀潤之氏の巻頭言に詳しいので、ここでは深く立ち入らない。堀、伊津野両会員による緻密な論考、中村秀之氏の研究ノート(と呼ぶにはあまりに濃密なテクスト)、さらにはアンドリューやガニングといった海外の大御所の刺激的な論考の翻訳が並ぶ充実した内容となったことを喜ばずにはいられない。

 今回は裏方に徹することとなったので、ここに至る作業について少し触れておきたい。まず本号の準備のため非公開の研究会を催し、堀氏、伊津野氏、角井が各々の研究の経過を報告するとともに、バザン研究の現状について情報を共有する作業を行った。夏の盛りに青山学院大学の瀟洒な一室で繰り広げられた報告とそれに続く討論は、本号にとって、また本研究会にとってきわめて有意義なものであったと思う。また前号に引き続き、学術誌としての質を担保するため論考や翻訳の綿密なピアレビューも行った(論考については査読を行った)。ここでの「綿密な」という形容詞は文字通りに受け止めてもらって差し支えないと思う。じっさい執筆者や訳者と査読者、編集員のあいだではバザンの解釈や翻訳の細部をめぐって幾度もやりとりが重ねられた。編集作業に携わるなか、何度も読んでわかったつもりになっていたテクストが、精緻で大胆な読解を経て、新たな相貌で現れてくるのに立ち会うのはとてもスリリングな体験だった。どの論考もぜひご一読頂きたい。いずれも今後バザンのリアリズム論について考えるさいの必読文献となるのではないかと思う。

 とはいえ、われわれのバザン再考の作業はまだ端緒に就いたばかりである。二〇一八年はいよいよ(!)バザンの生誕百周年。次の百年に向けて、バザンの衝撃をずっと遠くまで届けられるよう一層励んでゆきたい。(角井誠)
(J.H.)

2017/11/09

『アンドレ・バザン研究』第1号 頒布終了のお知らせ

 『アンドレ・バザン研究』第1号はこのエントリーに記載の通り、希望者に実費で頒布しておりましたが、好評につき残部がほぼ尽きましたので、本日をもって頒布を終了いたします。今後、増刷の予定もありません。

 なお、第1号は国会図書館には所蔵されています(こちらを参照)。主要な大学図書館、および映画研究関係の研究室にも送付しておりますが、オープンな形での登録・配架にまで至っているのは、現時点では名古屋大学附属図書館だけのようです(こちらを参照)。

 現在、2018年度末の刊行に向けて、第2号も鋭意製作中ですので、どうぞご期待ください。

(J.H.)

2017/08/13

アンドレ・バザン関連書籍の書評(転載)

 2015年は、アンドレ・バザン『映画とは何か』の新訳(野崎歓・大原宣久・谷本道昭訳)が岩波文庫(上下巻)で刊行されただけでなく、野崎歓によるバザン論を集成した『アンドレ・バザン――映画を信じた男』(春風社)と、バザンが1950年に初めて出版した単行本『オーソン・ウェルズ』(堀潤之訳、インスクリプト)も世に出るなど、バザン関連書籍の当たり年でした。

 ここに野崎歓『アンドレ・バザン』の堀潤之による書評(『週刊読書人2015年8月21日号)と、バザン『オーソン・ウェルズ』の野崎歓による書評(同2016年2月12日号)を転載します。

 なお、野崎歓『アンドレ・バザン』をめぐっては、野崎歓・四方田犬彦・中条省平の三氏による鼎談「映画論を超えた「事件」――バザンの潜在的可能性を顕在化させる試み」(『図書新聞』3218号、2015年8月8日)もあります。

 バザン『オーソン・ウェルズ』に関しては、他にも『キネマ旬報』1711号(2016年3月上旬号)の吉田広明氏による書評、『図書新聞』3273号の谷昌親氏による書評、『映像学』97号(2017年)の中村秀之氏による書評(リンク先のPDFで閲覧可能)もぜひご参照ください。



(J.H.)

2017/05/26

『アンドレ・バザン研究』第1号検討会のお知らせ

2017年6月6日(火)に、京都大学映画コロキアムの一環として、以下の通り、『アンドレ・バザン研究』第1号「特集=作家主義再考」検討会を開催します。入場無料・来聴歓迎です。お気軽にご参加ください。

京都大学映画コロキアム 
『アンドレ・バザン研究』第1号「特集=作家主義再考」検討会

2017年6月6日(火)18:15-19:45
京都大学吉田南キャンパス
吉田南総合館南棟334演習室

報告
大久保清朗(山形大学、Skype参加)、堀潤之(関西大学)、木下千花(京都大学)

コメンテーター
藤井仁子(早稲田大学)

概要
 2016年6月に山形大学人文学部附属映像文化研究所内に発足したアンドレ・バザン研究会では、その初年度の成果として、『アンドレ・バザン研究』第1号を刊行しました(発行=アンドレ・バザン研究会、編集=大久保清朗、堀潤之)。
 第1号は「作家主義再考」と銘打ち、「作家主義」に先だってアレクサンドル・アストリュックが発表した記念碑的批評「カメラ万年筆」論から、「作家主義」という言葉が初めて使われたフランソワ・トリュフォーの「アリババと「作家主義」」や、アンドレ・バザンが作家主義に対する留保を表明した長文論考「作家主義について」を経て、アンドリュー・サリスによるアメリカへの「作家理論」の導入まで、7本の論考の翻訳および解題(いずれも本邦初訳)を含んでいます。
 今回の検討会では、「作家主義」のフランスとアメリカにおける展開についての報告をふまえて、藤井仁子氏に「作家主義」の諸問題をめぐる包括的なコメントをいただきます。

2017/05/08

『アンドレ・バザン研究』第1号の刊行

 2016年6月に山形大学人文学部附属映像文化研究所内に発足したアンドレ・バザン研究会では、その初年度の成果として、『アンドレ・バザン研究』第1号を刊行しました(発行=アンドレ・バザン研究会、編集=大久保清朗、堀潤之、2017年3月31日発行、A5判116頁、ISSN 2432-9002)。


 内容は以下にみられる通り、1950年代の『カイエ・デュ・シネマ』誌において確立された「作家主義」la politique des auteursの先駆けからアメリカへの移植に至るまで、すべて本邦初訳により、古典的テクストを通覧するものになっています。各論考には解題も付されています。

大久保清朗「バザンの徴の下に――『アンドレ・バザン研究』創刊に寄せて」

[特集]作家主義再考
アレクサンドル・アストリュック「新しいアヴァンギャルドの誕生――カメラ万年筆」(堀潤之訳)
ロジェ・レーナルト「フォード打倒! ワイラー万歳!」(堀潤之訳)
アンドレ・バザン「ジャック・ベッケル『エストラパード街』」(角井誠訳)
フランソワ・トリュフォー「アリババと「作家主義」」(大久保清朗訳)
アンドレ・バザン「誰が映画の本当の作者か」(大久保清朗・堀潤之訳)
アンドレ・バザン「作家主義について」(野崎歓訳)
アンドリュー・サリス「作家理論についての覚え書き、一九六二年」(木下千花訳)

 以下、巻頭言より、各論考の内容に簡潔に触れた部分の抜粋です(強調引用者)。

 [……]「作家主義」の前史あるいはひとつの起源とされるアレクサンドル・アストリュック「新しいアヴァンギャルドの誕生――カメラ万年筆」から本特集は始まる。「カメラ万年筆」論として名高いこの宣言文は、映画が「思考を表現する」言語となるべきであると述べている。そしてロジェ・レーナルト「フォード打倒! ワイラー万歳!」は、スタイルの創造者として二人の監督を対照させながら、前者を「古典」時代の延長にすぎないとして退け、後者に「最新の傾向」を見出そうとする、挑発に満ちたエッセイである。
 それに続くバザン『エストラパード街』の映画評と、フランソワ・トリュフォー「アリババと「作家主義」」は、ジャック・ベッケルという同一の「作家」をめぐって、師弟関係にある両批評家の相互の立場を対照させつつ理解できる最適のテクストであろう。主題と演出との関係を重視するバザンに対し、あくまで演出の問題にこだわる弟子トリュフォー。後者の擁護顕揚において、管見では「作家主義」の語が初めて登場する。
 [……]バザンにとって「作者=作家」、あるいは「作家主義」とは何であったのか。その問いをめぐっては、二つの論考「誰が映画の本当の作者か」「作家主義について」を読まれたい。監督と脚本家のどちらに「作者」の資格が与えられるかという当時の議論の仲裁として書かれた前者と、「作家主義」の功罪に粘り強く省察を加え『カイエ』の若き批評家たちの行き過ぎを制止しようとした後者とでは、長さも、目的も、議論の歴史的パースペクティヴも異なる。だがそれだけにいっそう、バザンの批評に一貫する思考のスタイルを見出すことが可能なのではないか。
 最後に、唯一の英語文献としてアンドリュー・サリスの長篇評論「作家理論についての覚え書き、一九六二年」を置く。バザンの「作家主義について」を批判的に継承しつつ、「作家主義」を「作家理論」へと翻訳し、アメリカ映画の批評・理論の場に移植した、この試論の意義は大きい。 [……]

 続いて、編集後記の全文です。

 新訳『映画とは何か』(岩波文庫)に始まり、その訳者の一人でもある野崎歓氏による『アンドレ・バザン――映画を信じた男』(春風社)を経て、バザンの最初の単行本『オーソン・ウェルズ』(インスクリプト)の刊行で幕を閉じた2015年は、バザン関係の出版物の当たり年だった。その機運を逃さずに、2018年に迫ったバザン生誕百周年に向けてさらなる盛り上がりを組織するべく、私たちは2016年6月22日に、山形大学人文学部附属映像文化研究所内に、大久保清朗氏を代表とするアンドレ・バザン研究会を発足させた。「作家主義再考」を柱とするこの学術誌『アンドレ・バザン研究』第1号は、その最初の成果である。
 本号がもっぱら過去の文献の翻訳から成っていることに、物足りなさを覚える読者もいるかもしれない。だが、日本の映画研究においては、近年、(とりわけ外国語による)基礎的な文献を精読するという、人文学の根幹を成すはずの作業が、いささか蔑ろにされている傾向はないだろうか。しかるに、バザンをはじめとするフランス映画批評の文脈に限っていえば、まさに碩学というにふさわしい飯島正がアストリュックからゴダールまでの批評を通覧した『ヌーヴェル・ヴァーグの映画体系』全3巻(冬樹社、1980-84年)から、奥村昭夫による『ゴダール全評論・全発言』の渾身の訳業(筑摩書房、1998-2004年)に至るまで、日本はむしろその作業がたゆまず行われてきた国なのだ。そもそも、ダイジェスト版ではない4巻本の『映画とは何か』(小海永二訳、美術出版社、1967-77年)が翻訳されているのは、おそらく日本だけではあるまいか。
 本誌が慎ましい姿ではあれ翻訳と注釈という基礎的作業だけに専心していることには、こうした豊かな伝統にささやかながら連なろうとする決意も込められている。その決意に恥じないクオリティを担保するべく、本号ではすべての原稿に対して綿密なピアレビューを行った。個人的には、テクストの(時には細かな)解釈をめぐるやり取りを訳者の方々と交わす作業を通じて、テクストの襞に寄り添った濃密な読解ができたことを――願わくは訳者ともども――嬉しく思っている。繰り返しになるが、人文学的研究の礎はこうした地道な作業にあることを忘れてはなるまい。
 もちろん、テクストの着実な読解という土台のうえに、今後、独自の成果を積み重ねていかなければならないことは言うまでもない。来年度に刊行される予定の第2号では、本誌を単なる「バザン訓詁学」の孤塁とはしないためにも、未邦訳のテクストの紹介だけでなく、論考にも力を入れることになるだろう。同時に、狭義のバザン研究をより広い文脈と接合するために、国内であると国外であるとを問わず、研究会の会員以外からの協力も仰いでいく所存である。本誌がまもなく生誕百周年を迎えるバザンに対する読者諸氏のいっそうの関心を惹起できれば、編纂に携わった一人として、それに優る悦びはない。(堀潤之)
(J.H.)

『アンドレ・バザン研究』の入手方法

【11/9追記】。このエントリーに記載のとおり、残部僅少につき、本日(2017年11月9日)をもって『アンドレ・バザン研究』第1号の頒布は終了いたしました。今後、以下の手続きに沿って申し込みをしても、頒布しかねますのでご留意ください。

 『アンドレ・バザン研究』第1号は非売品で、国会図書館および一部の大学図書館を除いて、一般に流通しません。ご関心のおありの方には、残部がある限りにおいて、実費で頒布いたします。以下のいずれかの方法で、お申し込みください(※5/12に下記の文面を修正しました)。


1)『アンドレ・バザン研究』第1号を希望する旨のメモとあわせて、送付希望先の住所を記載し215円の切手を貼った封筒(A5判の冊子が入るサイズでお願いします)を同封のうえ、以下の宛先に送付してください。この場合、ゆうメールにて会誌を発送します。

2)『アンドレ・バザン研究』第1号を希望する旨のメモとあわせて、送付希望先の住所を記載したスマートレター(180円)を同封のうえ、以下の宛先に送付してください。

※宛先はいずれの場合も以下の通りです。
〒990-8560
山形県山形市小白川町1-4-12
山形大学人文社会科学部附属映像文化研究所内 アンドレ・バザン研究会

※出張等のため、発送まで10日間程度の期間がかかることもあります。また、授業期間外の場合、発送まで大幅に時間がかかることもあります。どうかご了承ください。

※5/12現在、スマートレターで入手希望を送ってこられ、こちらから冊子を送るためのスマートレターが同封されていないケースが散見されます。その場合、冊子の発送ができませんので、再度、申し込みをしてください。

※【5/15追記】。こちらの手違いにより、上記1)の方法で申し込みをした方に対して、一部、ゆうメールではなく定形外郵便物として返送してしまったケースがあります。その場合の送料は250円なので、到着時に差額(35円)を請求される可能性があります。大変申し訳ありません。もしそのようなかたちでお手許に届きました場合は、大変恐縮ですが、研究会メールアドレス宛に改めてご住所をご連絡いただければ、差額分の切手をご送付申し上げます(メールアドレスは右上「詳細プロフィールを表示」から「お問い合わせ」の欄をご覧ください)。

※残部僅少となった場合、このブログでも告知し、受付を中止します。
以上